FCAは2021年7⽉13⽇、⾳楽作家が直⾯する著作権に関する3つの課題 1. 私的録⾳録画補償⾦制度、2. 楽譜の無断コピー・無断配信、3. ⾳楽教室での演奏利⽤を取り上げ、音楽作家への正当な対価を求める意⾒表明を⾏いました。
音楽教室について石原信一会長、渡辺俊幸顧問、小六禮次郎理事長にお話を伺います。
― 音楽作家は音楽教室で自身の作品が講師や生徒により演奏されることについてどう考えるのか、石原会長に伺います。
⾳楽教室事業者は私たちが創作した⾳楽作品を講師や⽣徒に演奏利⽤させています。しかしながら、多くの事業者は私達の権利を認めようとしません。私達⾳楽作家は、ビジネスでの⾳楽利⽤には⾳楽作家への正当な対価が必要であると考えます。音楽教室もビジネス、事業なわけですから、音楽作家が対価を求めるのは当然のこと、と考えます。
― 音楽教室での教え方(レッスンの方法)とはどのようなものでしょう?
大手楽器メーカーは、全国どこの音楽教室でも同じ仕組みでレッスンが受けられるよう、教え方の方法を作り上げました。その方法とは、教室が課題曲を予め用意し、生徒に課題曲を与え、講師の模範演奏を交えつつ、生徒にくり返し演奏させるというものです。生徒の演奏は、教室が用意した課題曲に限定されます。生徒の演奏は、音楽教室という事業にしっかりと組み込まれていると考えられるのではないでしょうか。
― 音楽教室訴訟に関する知財高裁の判決をどのように評価していますか?
⾳楽教室とJASRACとの著作権使⽤料に関する問題で、先日、知財高裁が判決を示しました。それによれば、講師の演奏および録音物の再生については音楽教室事業者が利用の主体で、著作権が及ぶというものでした。ただし生徒の演奏については、実際演奏している生徒が利用の主体で著作権が及ばないというものでした。生徒の演奏だけを抜き出して権利が及ばないという判決は、音楽教室の実態を知る我々からするととても理解できるものではありません。
― レッスンでの演奏利用に対価を求めることは音楽教室の社会的役割に配慮していない、という主張についてどのようにお考えですか?
音楽教室が果たしてきた社会的役割は、大変大きなものがあったと思います。ピアノやヴァイオリンなど西洋楽器を日本中に普及させたこと、誰もが楽器を演奏して楽しめるようにしたこと、音楽教室が果たした役割は本当に大きいものだと思っています。しかし、演奏技術の普及と向上のために音楽作家の権利は制限されて当然、という考えには同調できません。音楽の土台、裾野を広げるためには新たな音楽作品を作る私たち音楽作家が必要だ、という視点に欠けているのではないでしょうか。
― 音楽教室事業者が、利用しやすい環境を整備することが音楽文化の発展につながると主張していることについては?
音楽作家の権利を制限して対価の支払いを不要にすることで、その作家が創作した音楽作品が利用しやすくなるという主張は本当に残念です。私たちはもっと、利用には対価が必要だということを主張しなければなりません。
― 音楽教室事業者が果たすべき責任についてどのようにお考えでしょうか?
音楽を学ぼうとする全ての人々、特に子どもたちが自由に好きな曲をレッスンで練習できて、同時に教師も安心して指導できる環境が必要です。そのために音楽教室事業者は、生徒や先生に使用料を負担させるなどと言わずに、音楽作家への対価をきちんと用意すべきです。楽譜や発表会については使用料を払っているのだからレッスンは払わない、という主張はまったく理解できません。それぞれの利用に対してそれ相当の使用料負担を用意するのは、音楽教室の責任だと考えます。
― 音楽作家は音楽教室で自身の作品が講師や生徒により演奏されることについてどう考えるのか、渡辺顧問に伺います。
知財高裁の今回の判決では、ほぼJASRACの主張が認められました。ただ残念なことに、生徒の演奏については演奏権を認めないという判決だったわけです。私はこの判決について非常に残念に思います。楽器教室内で行われている演奏の全てに演奏権がかかるというのは、普通の解釈では当然だと個人的には思います。例えばJAZZ喫茶のオーナーさんがCDやレコードを購入して店内でかけるとお客さんが喜ぶ。それによって収益を得ている限りは、CDやレコードを買ったということだけでなく、さらに音楽を使用した演奏権使用料というものをお店のオーナーさんはきちんと支払ってくださっているわけです。それが作家に還元されるというのが、現在の正当なあり方であると思います。そういう意味では、生徒の演奏も含め、楽器教室内において行われた演奏について全て経営側がその演奏権使用料を支払うというのが正当なあり方だと、作家としては思うわけです。音楽家というのは、様々な点で楽器教室の様々な会社と関わっています。確かに楽器教室は音楽文化に貢献していてありがたいなと、創作者としては常々思っていますが、同時に楽器教室は楽器演奏だけではなくて作曲家を育てているわけです。その作家を育てるという部分に関して、著作権の大切さということも同時に教育していって欲しいというのが私の願いです。そうしないと、将来作家を目指す人がいなくなってしまうかもしれません。作家というのは本当に大変で、歌モノと呼ばれる歌詞付き楽曲を書いている作詞家・作曲家というのは、書いた時点では無報酬なんです。日本においては、何の報酬も得られない。そしてCDが1枚売れるごとに入ってくる微々たるお金が積み重なって、生活が成り立っているわけです。著作権というのは本当に作家にとって大事なもので、それが蔑ろにされては困ってしまう。ですから、楽器教室の方々も作家の立場というものを理解していただいて、お互いに協力し合って日本の音楽文化を高めていくという姿勢になっていただけないかなと心から願っているわけです。今JASRACが楽器教室側にご提示させていただいているパーセンテージというのは、包括契約の場合収益の2.5%です。例えば月謝が1万円だとして250円、5千円だったら125円です。これを高いか安いかと思うのはそれぞれの感覚によりますが、私は決して高くないし、無理な金額ではないと思います。これを楽器教室側に払っていただけないかなということを、JASRACは訴えているということなんです。これをぜひ理解していただいて、今最高裁に上告していますが、正しい判決をしていただけることを私は願っております。
― 音楽作家は音楽教室で自身の作品が講師や生徒により演奏されることについてどう考えるのか、小六理事長に伺います。
この問題は本当に難しいと言いますか、長年に亘り色々と話し合いをしてきて、音楽というものがどういう位置にあるのかということが問われていると思うんですね。音楽を作る人間がいて、それを演奏する人、それを聴く人たちがいるわけです。私たちは作家として主張している部分がありますが、我々の仲間にも色んな立場の人がいて、音楽教室に関わっていらっしゃる方もいます。そこで利害関係や反発する場合がどうしても出てくる。その中で一番いい解決策を求めなければいけない。その解決策がそう簡単に見つかるものではないということも事実です。それが、裁判で争わなくてはいけなくなったというのが本当に残念なことで、本来ならばちゃんと落とし所を決めて話し合いをするということが一番良かったのではないかと思います。やはり後に禍根を残さないようにきちんと解決したい。誤解を招くような情報も色々出ておりますが、今日申し上げたことは事実に基づいた主張であり、このような状況判断のもとで私たちの考えをお話しさせていただいております。できれば音楽仲間が一緒に教育現場に集えるような形でやっていきたいと思っておりますので、ぜひよろしくお願いいたします。